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2011年 02月 22日
日本画では、絵の具の色のもととなる色石や泥などの顔料を画面に定着させるために、和膠を使用します。
そのなかでも代表的なものが、“三千本膠”(さんぜんぼんにかわ)。 一頭の牛からおよそ3000本つくられるから、三千本膠と呼ばれるといわれています。 一本の膠はおよそ15グラム。 わたしが一年に使う量は、500~800グラムほどでしょうか。 三千本膠をつくっておられた、最後の職人さんがついに廃業され、三千本膠の供給が止まってしまいました。 三千本膠をつくるのは、冬場の厳寒の中での肉体労働です。過去には、ベニヤの合板やマッチにも広く使われましたが、現在では、日本画や修復以外にほとんど用途もありません。 代替品は工業用ではボンドなどを使用し、日本画でも、鹿膠(原料は牛)や、粒膠、ほかにウサギ膠や鮫膠などといったものもあります。 三千本膠は、古くからの方法で防腐剤などの添加物をほとんど加えないで作られているので、腐りやすく不純物も多く扱いづらいのですが、その特色はなんといっても、柔らかさと、定着のよさにあると感じています。 天然石を自分で砕いてつくった絵具は、その粒子のばらつきが、一度塗りしただけで、なんともいえない深みを出してくれるのですが、三千本膠を使ったときにも、感触としては、似たような感じを実感しています。 以前、透明度が高く、腐りにくいといわれる他の膠を使ったこともあるのですが、絹絵を描いていたときに、濃く溶いた膠をつかっても絹目をすべってしまうものが、三千本膠だとぴたりと止まってくれ、また、絵具をぼかすのにも、ちょうどよいばらつきを出してくれることを感じ、それからは三千本膠一すじです。 国宝の修復を仕事として続け、全国をまわっている友人とも、以前、同じ話で意気投合したことがあります。 ですが、これからは、用途を限定して考えなければならなくなりそうです。 今回の膠騒動をふまえ、日本画画材に関しては、近代化の中で分業が進んでいたのを見直し、今後は、もう一度、修復や日本画に携わっている人間で、協力して、最低限の画材は自分たちでつくっていくことも考えていかねばならないのではないでしょうか。とてもコストや労力がかかるとは思いますが、どれだけお金を積んでも、たった数十年前のものでも、一度完全に失われてしまった技術を取り戻すのは至難です。 わたしは自然によってつくられた石や土が、自然の一部である人間の波長で創作されることで、同じ人間の目や心に、美しいと映ずるのではないかと考えています。芸術のように、人の心から心に五感を通して伝えていくことに、その本質的意義があるものの場合、基底材料や画材、筆にいたるまで、そういう繊細で微妙な職人の技術が、全体として作品を支えていると考えています。 いつも、扱いづらく思い通りにはならない、日本画の天然画材と向き合ってきたのは、国宝模写を通して、そういったことを自分の肌で感じてきたからです。 ですので、自分の作品は、画材と向き合い、自身の心と向き合い、モチーフと向き合い、それらがひとつになったところでもっとも効果的な状態を模索して、心をひとつに合わせて奏でられる音楽のようなものだと考えています。 三千本膠がなくなってしまうことで、とても困っています。 和膠の製作技術が伝承されていくことを願ってやみません。 ↓ブログランキングへのクリックお願いします。
by hiro-ikegami
| 2011-02-22 22:13
| 画材
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